「素敵な未来を」
「素敵な未来を」お客様に提供したい。
この「ミッション」を胸に、私たちは、モバイルを軸に「5G」、「IoT」、「AI」、「ロボット」等の様々なサービスを組み合わせて、お客様⼀⼈ひとりにあったコーディネートを提案し、素敵な未来を提供いたします。
*Internet of things = 世の中に存在するあらゆる「モノ」に通信機能をもたせ、インターネット接続を⾏えるようにする技術
⼈材を育成し、サービスを⾰新し、
中長期に成長する企業グループを目指します。
当社は携帯電話の販売代理店です。
1993年の創業以来、この分野で成長を続け、店舗数で業界TOP10の位置にいます。
日本には三大財閥、三井、三菱、住友があります。
現在の当社には、はるか遠くに仰ぎ見る連峰のように、偉大な企業群です。
三井財閥は、松坂の商人、三井高利が創業した越後屋三井呉服店から。 三菱財閥は、岩崎弥太郎が創立した三菱商会から。 住友財閥は、二代目の住友友以が起こした銅精錬業を元に、 どの財閥も一つの事業から巨大な企業集団へと成長していきました。財閥は当初から財閥ではなく、小さな会社規模から祖業を極めながら、時代の変遷の中で次の時代への事業を次々と起こしていったのだと思います。
ベルパークは、モバイルの代理店業が本業であり祖業です。
私たちが中長期に成長するためには、恐れ多い言い方になりますが、三大財閥と同じように時代の変遷を見極めながら、新たな事業に取り組み続けたいと考えます。
現在の当社は、平たく言うと、技術系のメーカーではなく、金融系の会社でもなく、小売・サービス業に近い、「携帯電話の代理店」と言う、ここ20年に勃興した新興分野に位置します。この分野において、大手資本のバックがない独立系の会社として、成長してきた会社です。
当社の企業カルチャーをキーワードで表すと、「若さ」、「元気」、「思いやり」、「誠実」、「熱いチームワーク」であると思います。なんか青臭いなと思われるかもしれません。
このイメージをさらに等式で表すと、
ベルパークの企業カルチャー=「若さ」×「元気」×「思いやり」×「誠実」×「熱いチームワーク」
ベルパークの強み=「人材育成力」×「企業カルチャー」
という事になるかと思います。
私たちは、これからも絶え間なく人材を育成し続け、私たちの成長と共に革新的なサービスを次々と生み出し、その革新的なサービスでお客様に感動しご満足いただくことで中長期で成長できる企業グループになることを目指したいと思います。
ベルパークがスタートして1年たった1993年、設立時に8750万円もあった資本金を使い果たし、最初の事務所があった渋谷の公園通りから半蔵門のオフィスビルの1階に間借りする形で、ボロボロの状態で引っ越しました。今から思えば、典型的な敗残ベンチャー企業でした。たった15坪の店舗兼事務所に、残ったのは社員2人、バイト2人。少人数での厳しい再スタートでした。私は、副社長として、建て直しに入りましたが、通帳に残高はわずかで、その次の月末の支払いなどを考慮すると実は債務超過でした。「副社長として」と言うとカッコ良く聞こえますが、当時は経営ノウハウもほとんどなく、中身はからっぽの副社長でした。この時期は、後に来る携帯電話のブームまでまだ遠く、売って利益を上げられる商材はポケベルなどわずかでした。よく言われる「ヒト、モノ、カネ」のうち、少なくともモノとカネは絶望的な状況でした。もし、現在のベルパークの状況をビデオに撮って、タイムマシンでこの当時に戻り、「君達のベルパークは、こうなっていますよ」と見せられても、「冗談はやめてください。俺達、今必死なんだから」というコメントしか出なかったでしょう。
まるで利益が出ず、当時の株主から「もう会社は清算してくれ」と言われました。
そんな大ピンチとは知らず、ノーテンキな新副社長(私)は、スタッフ1人1人に次の一年の抱負と目標を1枚の紙に書いてもらっていました。会社自体が来年はあるかも分からないというのに、書いてくれたみんなの思い、目標は素晴らしい内容でした。
「これまで勤めたどの会社よりベルパークが好きです」、「毎日会社に来るのが楽しくて仕方ありません」、「私はまだ未熟でみんなにご迷惑をかけていますが、努力してみんなに貢献できるようになります」。 たった5人しかいないボロ会社にこんな熱い思いを持ってくれていたのです。
そうだ、この会社にはたった一つ、残された貴重な資源がまだありました。それは、「ヒト」、すなわち「人」と「明るいチームワーク」でした。
「このまま、沈んでたまるか。やれるぞ、俺たちは」。
その時から、数少ないチャンスを全員でつかもうとしていました。一人一人が、火事場のバカ力を発揮してくれました。それが出来たのは、お互いがみんなの潜在能力とやる気を信じていたからだと思います。今から思うと、ビックリするほど貧乏な会社でしたが、みんな明るかった。
コツコツと小さな利益を積み重ね、スタッフも会社も自信を少しずつつけ始めました。
1歩前に出られるたびに感謝し、また次の自分たちの可能性を信じ、また、1歩。
そして、今、我々はここにいる。
これが1つ目のバリューに込めた思いです。
代表取締役会長 西川 猛
私は、大学を卒業後、財閥系総合商社に就職し、12年間弱にわたり大変お世話になりました。私の社会人としての原点の多くは、この時のものです。この総合商社は、戦後スタートの最後発の商社で、先発の財閥系商社と比較すると、より少ない人数で挑戦し、若い人間に仕事を思い切ってまかせる風土があったと思います。ベンチャーの経営者が独立する時は、これまで勤めていた会社について、まず否定から入りがちです。だから辞めて独立するのかも知れません。しかし、だんだんと気付かないうちに、昔勤めていた会社のいい部分を自社で再現しようとするのではないでしょうか。
会社を正しく成長させるためには、明るく議論ができて、自由闊達な職場が何よりも必要です。評価は減点主義でなく、プラス評価で、仕事のスタイルは、過去踏襲型ではなく、前向きで、新しいチャレンジには惜しみなく拍手喝采する、ベンチャーらしい職場にしたい。そして、若い人に、どんどん仕事を任せ、研修にもうんと力をいれ、個々人が成長していける会社を目指したい。
これが2つ目のバリューに込めた思いです。
代表取締役会長 西川 猛
私が総合商社に入社した1979年はそれなりに不況で、入社の人数が各商社とも半分になったり、中には採用を見送った商社もあった年でした。そして、プラザ合意の後、円高の時代を迎え、日本経済は構造変化を伴い、昭和末期には不動産バブルが巻き起こり、そのバブルの崩壊とともに、日本は「失われた25年」と呼ばれる長期低迷の時期に入っていきました。
この間、時代の大きな波動、変化の中で多くの会社が舞台から消えていきました。消えた理由は様々で、私はまだ、「企業はこうあれば永続できる」と言えるところまで悟り切れていません。ただ、このベルパークという企業に関係される方々、つまり、お客様、従業員、取引先様、株主様、そして地域社会の皆様すべてに、我々が必要とされ、信頼され、喜ばれる存在であることが、当社が永続するための必要条件であると信じます。少なくとも、ここを守れないと先に進めない。
これが3つ目のバリューに込めた思いです。
代表取締役会長 西川 猛